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_「一から十」

_「一から十」

ブログタイトルの「一から十」には、自分の見たこと聞いたこと感じたこと「一から十まで、すべて」という意味と「マイナス(-)をプラス(+)に転化する」という意味と「一を聴いて十を知るものであって欲しい」という思いを込めています。人生の戦いに日々格闘する方々と、前向きに生きていくための勇気と知恵と活力を分かち合いたいと思います。

 

実家

1月中旬の法事以来、2ヵ月半ぶりに実家に帰省した。娘と息子を連れての帰省である。久しぶりに実家でのんびり過ごした。やはり故郷はいいものだ。なぜか癒される。ありがたいことに両親もだいぶいろいろなところにガタがきているとはいえ、健在で、親子孫で楽しく過ごせることに感謝しなければならないとつくずく思った。この子どもたちが、立派な大人として成長してもらうために親としてできる限りのサポートをしてあげなければならないと思った。それは、自分自身が、年老いた両親からしてもらったことだから、次は自分の番だということだ。早く子どもたちに夢中になって取り組めるものを見つけてほしいと思っている。親子孫のふれいあいの中でそんなことを実感した実家での一日でした。(行きの車の後部座席で、横たわって寝ている娘の横腹に息子が肘を立てて頭をのせて重なり合うように寝ていた姿は、とてもほほえましくて、幸せな光景だった。あいにくいつも常時持ち歩いているデジカメを忘れてしまい、携帯でかとうじて記録できたことはよかった。)
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太ったブタではなく、痩せたソクラテスを目指せ

最近、太っていることに罪悪感というか羞恥心を強く抱くようになった。太るということは、基礎代謝が劣ってくる中年以降、誰しもが遭遇する悩みであり、減量、ダイエット関連のビジネスが世の巷にあふれているわけであるが、太るということは自己管理が欠けていることの表れともうけとれるし、何も悩みのない能天気とみられてしまいかねないわけで、太っていることをこのまま放置することは許されない気持ちになった。そこで、3月上旬以降、意識して減量を進めている。方法は、食事を極力控えること、なるべく時間のある時は歩くこと、子どもたちとスポーツなどして汗をながすこと、禁酒したこと、間食をいっさいやめたこと、どうしても気分転換したいときは飴かガムか珈琲ですます。などである。その成果を披露しよう。以下、3月以降の体重変化である。
2012年 3/5 88,8kg 3/6 88.1kg 3/7 87.7kg 3/8 87.6kg 3/9 87.3kg 3/10 86.3kg 3/11 86.4kg 3/12 86.1kg 3/13 87.2kg 3/14 86.7kg 3/15 87.3kg 3/16 86.5kg 3/18 87.0kg 3/19 86.3kg 3/20 86.0kg 3/21 85.2kg 3/22 85.8kg 3/25 86.3kg 3/24 85.8kg 3/25 85.1kg 3/26 85.6kg 3/27 86.2kg 3/28 86.7kg 3/30 84.9kg 3/31 85.8kg
以上、3月5日から3月31日までの約1カ月で88.8kg→85.8㎏と3kgの減量に成功した。1か月に3kgペースで減量していければ、5月には70kg代も夢ではない。体がスリムになれば、心も軽くなる。頑張ろう。
 
 

地位・待遇Vs自由・自分

地位・待遇Vs自由・自分の二項対立は、お金と生きがいのどちらを取るとも置き換えられるかもしれない。この二項対立は何を意味しているのか?私は、藤原和博さんの著作が好きであるが、この対立軸も、藤原さんの「処世術」という本で教わったものである。藤原さんが第一線のディレクターを自ら降板して、リサーチフェローとなった際の選択肢として、この地位・給与を選ぶ道か、藤原さん命名のSSK(S:接待、S:査定、K:会議)のない自由で自分の専門の世界に打ち込める道のどちらを選択するかという岐路で、藤原さんは、後者の道を選んだということである。会社人生の先が見えてしまった自分にとっては、やはり藤原さんと同じ後者を選択して、自由と自分を謳歌する会社人生を目指すしかないと考えている。肩書きがない分人間力で勝負という人生を前向きにとらえて生きてみたい。


 
 

異動

4月1日付で人事異動の発令を受けた。本日が前部署への出社最終日であった。来る者もおれば、去る者もいて、それぞれの様々な思いが複雑に交錯して、この季節はあまりいいものではない。人生にとって何が明となり暗となるかは、現時点では判断することはできないが、サラリーマンである以上、会社の人事を前向きにとらえて、苦しいものであっても、これは自分をさらに大きくしてくれるための神の試練だと前向きに考えていきたいものである。
来週からは、新しい職場での新しい生活が始まる。
 
 

LikeとLove

ライクとラブでは大きな違いがあるという。ライクくらいでは事は成就しない。成就させるためにはラブが必要だという。仕事にしても趣味にしてもライクではなしにラブといえるほど愛しているものがあるだろうか?中途半端な気持ちで向かっていても成就は不可能である。本当にラブといえるものだけに集中すべきかもしれない。会社での生活も人生の大半を占めるという意味では、今の業務について、ラブといえなければ不幸である。ラブと思えるほど愛する努力を重ねてみよう。最近思い立った資格試験についても、単なる思い着きではなしに、絶対に受かってみせるという覚悟と、資格勉強そのものをラブと思えるように持っていかなければ成就は覚束ないであろう。ライクではなくラブ。今時分に必要なのは、ラブである。
 
 

Duffy


我が家にまた1匹家族が増えました。TDSで息子と娘にねだられて購入したDuffyです。買ってからというものずっと肌身離さず息子がTDR中を持ち歩いていました。よく落し物をする子なので、またどこかに置き忘れやしないかひやひやでした。家に熊のぬいぐるみが大小混ぜて8匹おりますので、これで9匹目ということになります。一番好きなのは?の問いに、Duffy、Teddy,IKEA(イケアで購入したクマ)・・・・・の順だそうです。子どもたちがまだぬいぐるみで満足してくれているので、助かります。一時期、ペット購入が話題に上って、よくペットショップに見に行くことがありました。お目当ては今流行りのトイプードルでしたが、いつのまにかブームがクマのぬいぐるみに移行して、立ち消えています。ペットだと、餌代や散歩の世話など、結構大変なので、相当覚悟が必要だと思っておりましたので、今のところこのまま立ち消えになったままであることを祈っている状況です。よく公園で飼い主の後を、とことこと追いかけて歩くトイプードルを見て羨ましく感じることも多いですが、老後の楽しみに取っておくというのもありかなと思いだした今日この頃です。

 
 

23372歩と17966歩の思い出


家族でTDRを楽しんできた。今帰ってきたばかりであるが、肉体酷使の2日間であった。本当に疲れーたー状態である。タイトルの歩数は、1日目と2日目の歩数である。それにしても良く歩いた。しかもまだ未就学児の息子をだいぶおんぶして歩いたので、腰がやられた。でも天気にも恵まれ、春休みで混雑はしていたが、子どもたちは、ほぼ希望のアトラクションを制覇して楽しんでもらえたようで、何よりである。こどもの幸せこそ、我が幸せである。こどもの笑顔に接しえ、これからも老骨にムチ打って、こどもたちにたくさんの幸せをもたらしてあげたいと誓ってTDR2日間のバカンスは幕を閉じた。
 
 

地に足を着けて歩め

最近、自分の人生を省みて痛感するのは、上っ面で生きてきたなということである。向学心旺盛で幅広くいろいろな知識を漬け込むことで、教養人になったつもりでいたが、全然深みがなく、これでは、今の時代評価されないなあという時間である。もっと一つひとつのことにしっかり地に足をつけて、深耕していかなければ、世間では通用しないという実感である。いまからでも遅くない。とりあえず、新しい業務で、今までの人生の総決算的な意味合いも込めて、深堀りしていこうと思っている。ミスター○○と呼ばれるくらい○○の分野で地に足をつけて上っ面でない真の実力、専門性を磨いていきたいと考えているところである。新年度を迎えるにあたっての所信表明演説みたいになってしまった。
 
 

今日から泊まりがけでTDR

娘にせがまれて、今日から泊まりがけで東京ディニーリゾート(TDR)へ家族4人ででかけます。いつもなら自分が計画立てて、家族を振り回して不興を買ってしまうことが多いのですが、今回は、娘が大いに乗り気なので、計画は娘任せです。ホテルは予約しているのですが、チケットを予約していなかったので、明日早めに出かけてパークで購入します、なるべく並ばないで購入できればいいんですが、春休みですし多少の混雑は覚悟しています。娘主導のTDLどんな展開になるのか楽しみです。会社を休んでのリフレッシュ休暇ですので、あまりせかせかせずにゆっくり楽しんできたいと思います。結果は、ブログで報告したいと思います。
 
 

身近な節約術

収入が伸び悩む昨今、清貧の思想で、物質的な欲を絶って精神的な豊かさをと頭でわかっていても、なかなか欲は断ち切れるものではない。時には贅沢もしたい。限られた原資で、刹那の贅沢を味わうための資金を捻出するためには、節約が欠かせない。即実行できる身近な節約術を探索記録して、地道に実践していこう。小さな努力の積み重ねが豊かさを呼ぶということを信じて。まずは小さなことからコツコツと。
<身近な節約術>
1.禁酒:最近、ビール350m一缶晩酌するのが習慣であったが、それを断ち切る。始めてから1週間になるが、なんとか我慢できるものである。お酒を飲むのは休日の特別な日くらいにとどめる。もちろん酒の付き合いもなるべくたつ。太らないし、時間もできて、ブログもはかどるという副産物のおまけつきである。
2.服はかわない。結構、今まで買いためて全然来ていない服がタンスを占領している。ちょっと流行遅れの感があるかもしれないが、普段日常できる分には支障ない。子ども服や靴も、妹からお下がりを頂いて大変助かっている。
3.旅行は、年に何回かの家族旅行に厳選する。そのフラストレーションは、BSの旅行番組で解消する。BSの映像はすばらしく、旅番組も多いので、結構、いながらにして素晴らしい世界旅行が楽しめるものである。
4.3度の食事以外、間食はしない。どうしてもという場合は、ガムか飴にとどめる。
5.買い物はなるべくやすいところを探す。OKストアなどはお奨めである。活字中毒の自分にとって本の購入はかかせないが、新刊でどうしてもすぐに読みたい本以外は、ブックオフで購入。最近は、ブックオフに出かけて、お目当ての本を見つけるのも苦労するので、ブックオフのオンラインショッピングで購入することが多くなってきた。
6.外食はなるべくしない。たまに刺身が食べたくなった.場合は、回転寿司で満足する。息子が回転ずし好きなので月に1,2度はでかける。
7.趣味のデジカメ写真のプリント枚数を極力減らす。1枚6円だからと今までかなりの枚数プリントしていた。デジカメ写真なのでコンピューターでも見れるわけなので、プリントする枚数は厳選する。
今日はこの辺で終わりにして、これからも探求を続けて参りたい。節約で豊かさを享受!これがモットーである。
 
 

湘南夕富士


春先に家族で湘南に出かけた。最近辻堂にできたテラスモール湘南でお茶をしてから、夕刻に藤沢駅で美しいシルエットの富士山に遭遇した。夕暮れ時の美しい富士の姿にに心を打たれた。旅の疲れも一気に吹き飛ぶ美しさであった。
 
 

フィラデルフィア(Philadelphia)

アメリカに憧れがある。アメリカの町に興味がある。アメリカの町について調べてみよう。まずは、アメリカ合衆国建国の地ペンシルバニア州南東部の最大の都市フィラデルフィアだ。人口は150万人強で全米5位だ。フィラデルフィアには、名門ペンシルバニア大学がある文教都市でもある。名所としては独立記念館や自由の鐘がある。1682年にクェーカー教徒のウィリアムペンがこの地に居住区を設けたのが起源。1790年からの10年間、アメリカ合衆国の首都であった。130キロ北東にニューヨーク、200キロ南西にワシントンDCがある。アムトラックが走っていて、ニューヨークまで約1時間半、ワシントンDCまで約2時間である。フィラデルフィアの民族構成は、アフリカン・アメリカン32.5%を筆頭に、アイルランド系13.6%、イタリア系9.2%、プエルトリコ系8.1%とと続く。フィラデルフィアの名物にチーズステーキがある。フィラデルフィア管弦楽団は、世界でも有数なオーケストラである。フィラデルフィアは映画「ロッキー」の舞台としても有名である。全米有数の美術館であるフィラデルフィア美術館で、「ロッキー」の主人公が駆け上った階段は、「ロッキーステップ」と呼ばれ、観光客たちが駆け上った後ポーズをとる風景が見られる。日本の神戸市と姉妹都市関係にある。
 
 

無明

ブッダの「真理のことば(ダンマパダ)」の中に無明(むみょう)という言葉がある。
人間は、欲望や憎しみやうらみ等々、煩悩のかたまりである。その煩悩を消し去ることで安楽が得られる。
無明は、その煩悩の大元であり、この世の中を自らの勝手な解釈により正しく見ることができないことである。
無明にあると、ほんの些細なことであるのに、勝手に捻じ曲げて考えてしまい、勝手に良くない方向に妄想をどんどん膨らましてしまい、自分自身が人工的に作り出してしまう苦しみによって心の葛藤にさいなまれ、それが全部苦しみへとつながってしまう。その苦しみから逃れるためには、その苦しみとなっている前提の考え方、大元の考え方を捨て去ることであると説く。苦しみを生みだす元凶となっている考え方への執着を捨て、別の考え方、別の価値観、別の生きがいを見つけて、別の道を歩んでいく柔軟性を持つことで救われるのだと説く。なにものにも執着することなく変幻自在、融通無碍な自由な心でいれば、苦しみにとらわれることはないと教えてくれている。生きることは苦しみの連続かもしれない。理想と現実とのギャップに常に苦しみ、自らが人工的に生み出し増幅してしまいがちな苦の中で判断力を失い無明に陥ってしまうが、心のあり方を見直して世の中の見方を変えることで苦しみを乗り越えていくことをブッダは教えてくれている。


 
 

ドルフィン


根岸森林公園に出かけたついでに、ランチをあのドルフィンでとることにした。
ドルフィンといえば、ユーミンの曲で有名である。
「あなたを想い出す この店に来るたび 坂を上って きょうもひとり来てしまった
 山手のドルフィンは 静かなレストラン 晴れた午後には 遠く三浦岬も見える
 ソーダ水の中を 貨物船がとおる 小さなアワも恋のように消えていった」
                  荒井 由実 『海を見ていた午後』より
今日は天気が良かったので、歌に歌われているとおり、三浦岬(観音崎)も磯子の工場群の煙突越し遠くに見ることができた。青い東京湾、浮かぶ船、房総半島も一望でき、とても気持ち良いランチであった。
山手の瀟洒な雰囲気に感動した一日でした。
 
 

根岸森林公園


今日は久しぶりに朝から晴れ渡り、心地よい春の風にさそわれて、家族で出かけることにした。行き先は、横浜山手の根岸森林公園。ここはもともと明治の初期から競馬場だったところで、戦後、米軍の管理下におかれ、ゴルフ場などの変遷を経て昭和40年代に返還されたらしい。まだ公園の一部に米軍の土地が残っている。写真の桜山の上に3本の塔が飛び出した建物は、一等馬見所といわれるところで、競馬場があった当時、ここからレースを眺めた場所らしい。その横に横浜のランドマークであるランドマークタワーが見える。梅が満開できれいだった。桜はつぼみすらでておらず、まだまだといった感じだった。子どもとバドミントンや芝ソリなどに興じて、ほのぼのとした休日を過ごすことができました。
 
 

克己

新渡戸稲造著の「武士道」の中で「克己(こっき)」という概念が紹介されている。武士たるものは、克己心を持たねばならない。その克己とは、「自分の心の中の悲しみを抑え、周囲を心配させぬように、笑みを浮かべること」であるという。なかなかできないことである。悲嘆にくれたり、絶望にさいなまれて、悶々と思い悩む時に、その苦しみや悲しみを表に出さずにじっとこらえて、周囲に悟られて、同情をさそうようなことがないように、笑みをうかばて平静を装うなんて、なかなか普通の人間にはできることではない。相当強靭な精神力をもっていないとできないと7ことだと思う。克己心を体現するのが武士ならば、武士は尊敬に値する。今の自分が、男として、そして武士たらんとする者のはしくれとして、もっとも意識して行動しなければならないのがこの「克己」なのである。


 
 

試験に強くなるために・・・・・・。

古今東西、人生は試験で決まってきた感がある。最近は幼稚園、小学校から受験が始まっているようだが、大抵は中高受験くらいから始まって、大学受験、就職試験、そして昇進試験等々、人生試験だらけである。私は正直、試験には滅法弱い。試験で喜んだ覚えがあまりない。何故なのか?試験に弱いと人生の負け犬になってしまう。困ったものだ。何故試験に弱いのか?それは、本番に弱いとも言い換えられる。何故本番に弱いのか?何故本番で実力を発揮できないのか?本番に弱いのは、単に心(メンタル)が弱いからなのか?本番に強くなるためには、メンタルの強化だけで良いのか?試験そして本場に強くなるためのノウハウがありそうである。これから折に触れてサーチしていきたいと思う、そしてその成果をこのブログでも随時紹介して参りたいと思う。
 
 

「浮世様々」、そして「大変」

もうすでに30年以上も前に亡くなってしまった私の祖父に幼い頃言われた言葉を思い出す。私が何かわがままか何か自己主張しているとよく祖父は私に向かって「浮世様々よ」といっておどけたてみせた。浮世さまざま、そんなにむきになってどうするんだというニュアンスが込められていたのかもしれない。昭和の初期に大学を卒業して不況の中、満州に夢を抱いて渡り、戦後命からがら幼い子の手を引いて引き上げて苦労に苦労を重ねて生きてきた祖父だからこその言葉だと今にしてしみじみと思う。またこんな話も祖父と生前懇意にしていたKさんから伺った。Kさんが仕事が立て込んでいてつい「大変だ大変だ」と口にしたところ、祖父はそのKさんに向けて「大変なんて言葉はめったに使うものではない。大変というのは、お日様が西から登って東に沈むような場合に言うんだ」。その時、Kさんは、背筋がきゅっと伸びて目を覚まさせられたという。それ以来、どんなに忙しくても、どんなに苦しくても、「大変」という言葉を使わなかったそうだ。私も事あるごとに「大変だ、大変だ」と安易につぶやいてしまっているような気がする。大変、大変と口にして誰かに同情を買おうとしているようなところがもし少しでもあるのであれば、それは甘えである。大変という言葉はめったに使わないようにしたいと思う。祖父から学んだ2つの言葉の紹介でした。
 
 

春を祝う紅白梅の盆栽


湯島天神の境内に飾られていた紅白の梅の盆栽です。縁起が良いので撮ってみました。それにしても見事な盆栽です。この小さな空間の中に梅の宇宙を感じさせる盆栽に、日本らしさを感ぜずにはおられません。日本人ならではの芸術ではないかと思います。マンション住まいの自分には、ガーデニングには縁がないと思っておりましたが、この盆栽ならば、バルコニーで梅の世界を思う存分堪能できそうです。
 
 

田浦梅の里


田浦梅の里をご存じだろうか?三浦半島に位置する横須賀市北東の田浦にある梅林である。JR田浦駅もしくは京急安針塚駅から徒歩で30分ほど山を登っていくとたどり着く。山の上腹に、真っ青な空と東京湾をバックに広がる梅林。素晴らしい眺めである。是非一度、家族でハイキングでもいかがでしょうか?春を感じるお奨めのスポットです。
 
 

人生1回性

「人生1回性」、この言葉は、予備校時代に化学の熱血教師からもらった言葉である。それ以来、私の頭に焼き付いて離れない言葉となった。意味は、「人生はたった1回きりのもの、悔いのないように毎日毎日を大事に生きていこう」というものである。たった1回きりの人生であるから後悔はしたくない。一日一日を誰彼に流されることなく精一杯主体的に生きよう。毎日夜寝る前に一日を頭の中でリフレインして、今日一日悔いのなきように精一杯生きることができたか省みよう。充実した毎日の積み重ねが1回きりの人生を悔いなき人生にしてくれるのだと思う。死ぬときに是非とも我が人生に悔いなしと自信をもって言えるように生きていこう。
 
 

子どもの成長こそ我が喜び

子どもの水泳教室のお迎えに行ってきた。今日は、テストがあったようで、14級(サポート浮輪1個を腰につけて12.5mのクロール達成)に合格したと子どもから告げられた。うれしかった。このように一歩ずつでも子どもが成長、進歩していく姿を見ることは親としてこの上ない喜びでもある。子どもたちが成人して自らの足で人生を歩みだすまでは、親として最大限の支援を子どもたちにしていかなければと決意を新たにした次第である。
 
 

男時と女時

人生には、男時(おどき)と女時(めどき)がある。男時のときは、人生上り坂の絶頂期だから、あまり有頂天にならないように、奢ることがないように振る舞えば心配することはない。一方、心配なのは、いくら一生懸命やってもうまくいかない女時である。この女時にあるときこそ、その人の真価が問われる時といえるかもしれない。何をやっても空回り、一所懸命がんばっても空振り、自分のすべてに自信を喪失してしまう時、そんなくじけそうになる時が人生に往々にしてある。その時にいかに踏ん張るか。女時を神からの試練と思って、乗り切れるかどうか。逆境をチャンスを思って、決してあきらめずに、前向きに挑戦し続けることができるかどうか。そこがその人の強さである真骨頂であるといえる。今、自分は、女時である。この女時を心を強く持って乗り切りたいと思う。
 
 

ブログの効用

ブログと出会って本当に良かった。ブログに向かい、その時々の心の中に沸き起こる思いを文字にするだけで、心が落ち着き、心の整理がつくといった自浄作用の他に、自己を客観視することで自己分析がより進むことが期待できる。ブログは自分の中のもう一人の自分との対話ともいえる。これからブログを通してどのような自分と出会えるのか楽しみである。
 
 

足元を固める

どんな組織にあっても、その組織にあって、自分の役割、ポジションというものがある。その役割、ポジションを深く理解して、組織全体に自分が最大限貢献できるようにもっていくことが求められている。特に何でも比較的器用にこなせるタイプでゼネラリスト的な人生を歩んできた人にとっては、いろいろなことができるだけに、専門性を問われたときにこの道一筋にスペシャリストに比べて見劣りしてしまう。総合より専門が重視される世の中にあって、組織の中で自分とは何者なのか、何を期待されているのか。余人をもって代え難しとまでは言わないまでも自分の強みとは何なのか?自分の足元を深く掘り下げて固めることがまずはすべての始まりなのではないかと最近つくづく思う毎日です。
 
 

足るを知る

中野孝次さんの著作に「足るを知る 自足して生きる喜び」(朝日文庫)という本がある。その中で、老子からの引用で「足ルヲ知ル者ハ富ム」外なる価値(名声、財産、収入、地位など)を大切にするのではなく、そういうものは生活に必要なだけあればよしとし、それよりもはるかに大切な、わがいのちの充実のためにもっぱら生きよ」と紹介されている。外物にとらわれてあくせくするよりも、足るを知って、自分の生きる楽しみ、喜びなど内なる平安と充実のために生きよ。足るを知って自分を完全に受け入れることのできる者が本当にゆたかな者だ。という教えである。ともすれば物質的な豊かさに目がくらみ、地位や収入をあくせく追い求め過ぎて自分を見失い他人を傷つけがちである。老子の境地に立つためには、他人に勝つのではんなく、己に克つことが重要となる。今の自分にいたく響く言葉である。


 
 

トラックバックテーマ 第1399回「この春、始めてみたいことは?」

なんといっても、新しい夢に向けて資格取得のための勉強です。確固たる社会的な評価を得たいという気持ちがこのところ強くなってきました。そこで思い浮かんだのが国家資格です。今まで会社の仕事一辺倒でしたが、この春から考えを変えて資格試験に挑戦したいと思います。難関試験ですが、この春より地道にコツコツと寸暇を惜しんで、でも人生も適度に楽しむことを忘れずに、家族との触れ合いも大切にしながら、日々研鑽に励んで参りたいと思います。
 
 

ライオンに生きることの厳しさを学ぶ

百獣の王ライオンには天敵はいない。しかし、ライオンにも敵はいる。それは、同じオス同士の非情な争いである。オスのライオンは、群れを乗っ取ろうとする他のオスのライオンに常に狙われている。オス同士の戦いに負けると元いた群れから追い出され、自分の子どもたちは殺され、群れにいたメスは、勝ったオスのものとなってしまう。なんていう非情な世界だろう。似たような場面は、少なからず人間社会にもあるのかもしれない。さらにライオンの子どもであるが、親同士の縄張り争いの犠牲で殺されるということもあるのか大人になることができるのは、ほんの2割で、残りの8割は2歳になる前に死んでしまうそうだ。ライオンのこの厳しい生態から、生きることの厳しさを知るとともに、もっと強くあらねばと深く考えさせられる。
 
 

オフロード

この世の中、いったん道を踏み外してしまうと、いくら頑張ってもなかなか元の道には戻れないというのが実感である。本当に生きにくい世の中である。もう少し敗者復活の道が開けると人間もっとチャレンジングになれて、世の中の革新も進むと思うけどなかなかそうはいかないのが日本の実状のようだ。若き日の選択の誤りが一生の誤りにつながってしまうなんて、とても怖い話である。道から外れ、這い上がろうとしてもままならないアリ地獄のアリのごとく、もがき苦しむ人々が、人生に希望を見出し、復活を遂げるそんな生き様を見つめていきたい。オフロードにあってこそ、順風満帆なエリートには見えない、新しい革新の風景が見えるのだと信じたい。
 
 

設立趣意書

以前からブログを作りたいと思っていたが、なかなかきっかけがつかめず、そのままになっていた。
2012年3月23日、とうとう待ちに待ったブログスタートの日がやってきた。
ブログタイトルを何にするかとても迷ったが、思案の末、「一から十」とした。
「一から十」には、自分の一から十までのすべてをこのブログにぶつけていくという意味合いと「一(いち)」を「マイナス」、「十(じゅう)」を「プラス」と読み替えれば、「一から十」は、「マイナスからプラス」ということで、苦しみ、悲しみ、落ち込み、絶望をプラスに転化して、人生に希望を見出し、楽しく元気に歩んでいきたいということを込めている。
この「一から十」の場を明日への希望、活力を生み出す場として大いに活用していきたいと思う。2012年3月23日 
 
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