FC2ブログ
_「一から十」

_「一から十」

ブログタイトルの「一から十」には、自分の見たこと聞いたこと感じたこと「一から十まで、すべて」という意味と「マイナス(-)をプラス(+)に転化する」という意味と「一を聴いて十を知るものであって欲しい」という思いを込めています。人生の戦いに日々格闘する方々と、前向きに生きていくための勇気と知恵と活力を分かち合いたいと思います。

 

大隈重信翁


早稲田に足を運んだら大隈さんにご挨拶しなければということで、大隈重信像を訪ねました。有名なガウン姿の立像は昭和7年(1932年)10月17日、早稲田大学創設50周年と大隈重信10回忌を兼ねて作られたそうです。大隈は、身長180cmで当時としはかなりの大男だったようですが、この像も高さ298cmもあるそうです。右足を失った後の姿のものであるため、杖をついて、大隈講堂の方向を見つめるように立っています。
大隈 重信は、早稲田大学の創設者であり、初代総長として有名ですが、佐賀藩士で、明治維新後、政治家、教育者として一生を遂げました。政治家としては参議兼大蔵卿、外務大臣、農商務大臣、内閣総理大臣、内務大臣、貴族院議員などを歴任したそうです。
明治15年(1882年)10月、小野梓や高田早苗らと「学問の独立」「学問の活用」「模範国民の造就」を謳って東京専門学校(現早稲田大学)を、東京郊外(当時)の早稲田に開設したのが、その後の輝かしい早大の歴史の始まりでした。。
慶應義塾大学の創設者である福沢は大隈のことを「生意気な政治家」と言い、大隈は福沢を「お高くとまっている学者」と言ってお互いに会うことを避ける犬猿の仲だそうですが、ある日、雑誌の編集部が大隈と福沢を会わせてみようと本人達に内緒で酒宴の席を設けたところ、意気投合してしまい、大隈が「福澤先生はうらやましいですね。未来ある若者に囲まれておいでだ」と言うと、福澤が「あなたも学校をおやりになったらどうです?」と持ちかけられて、早稲田大学を作るきっかけとなったという逸話が残されています。
スポンサーサイト




テーマ : 東京23区    ジャンル : 地域情報
 
 

Comments


 
<- 09 2019 ->
SUN MON TUE WED THU FRI SAT
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
プロフィール

アールドヴィーヴル

Author:アールドヴィーヴル
FC2ブログへようこそ!

検索フォーム
ブロとも申請フォーム
QRコード
QR

Archive RSS Login